幕末の歌人です。福井市で生まれ1868(慶応4)年8月28日に57歳で亡くなりました。独楽吟は日常の生活の中で見つけた小さな「たのしみ」を詠ったものです。
ある程度の年齢になると誰でもこのような小さな楽しみを抱きながら生活していると思いますが、そのエッセンスを57577の中に凝縮しているというのがすごいです。
1994(平成6)年に天皇・皇后両陛下が初めてアメリカをご訪問されたときの歓迎のレセプションで当時のクリントン大統領がこの和歌を日本文化の粋として絶賛したそうです。クリントンもなかなかの日本通ですね。
・たのしみは 朝おきいでて 昨日(きのふ)まで 無(な)かりし花の 咲ける見る時
年を取って孫ができたりすると、独楽吟の「たのしみ」が、だんだんと分かってきます。1歳過ぎの孫がおかずを手づかみで食べている姿を見て、普通なら注意するのでしょうが、次の句を思い出して見入ってしまいました。
・たのしみは まれに魚烹(に)て 児(こ)等(ら)皆が うましうましと いひて食(く)ふ時
・【参考図書】橘曙覧全歌集 脚注 水島直文・橋本政宣 岩波文庫 1999年
家業は、筆や墨を売っている文房具屋だったようです。国学を学び古事記や万葉集を読んでいたようです。筆まめだったのでしょうね。市内の足羽(あすわ)神社の近くに記念館があります。
・福島市橘曙覧記念文学館
https://www.fukui-rekimachi.jp/tachibana/
【独楽吟 五十二首】
52首ありますので、六つの段に分けてご紹介します。家族といっしょに生活して飯を食ったり酒飲んだりしています。友人が来て談笑している句もあります。酒糟を焼いて食べるという句がありますがうまそうですね。庭の草木の成長や、好きな本を読んで小さな発見に喜んだりしています。妻子を養っていたのでしょうからお金のことも常に念頭にあったようです。
▶一段目
たのしみは 艸(くさ)のいほりの 莚(むしろ)敷(し)き ひとりこころを静めをるとき
たのしみは すびつのもとに うち倒(たふ)れ ゆすり起(お)こすも 知らで寝し時
たのしみは 珍(めづら)しき書(ふみ) 人にかり 始め一(ひと)ひら ひろげたる時
たのしみは 紙(かみ)をひろげて とる筆の 思ひの外(ほか)に 能(よ)くかけし時
たのしみは 百日(ももか)ひねれ ど成(な)らぬ歌の ふとおもしろく 出(い)できぬる時
たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物(もの)をくふ時
たのしみは 物をかかせて 善(よ)き価(あたひ) 惜(を)しみげもなく 人のくれし時
たのしみは 空暖(あたた)かに うち晴(は)れし 春秋(はるあき)の日に 出(い)でありく時
たのしみは 朝おきいでて 昨日(きのふ)まで 無(な)かりし花の 咲ける見る時
たのしみは 心にうかぶ はかなごと 思ひつづけて 煙艸(たばこ)すふとき
▶二段目
たのしみは 意(こころ)にかなふ 山水(やまみづ(さんすい))の あたりしづかに 見てありくとき
たのしみは 尋常(よのつね)ならぬ 書(ふみ)に画(ゑ)に うちひろげつつ 見もてゆく時
たのしみは 常(つね)に見なれぬ 鳥の来て 軒(のき)遠からぬ 樹(き)に鳴きしとき
たのしみは あき米(こめ)櫃(びつ)に 米いでき 今一月(ひとつき)は よしといふとき
たのしみは 物(もの)識人(しりびと)に 稀(まれ)にあひて 古(いに)しへ今を 語りあふとき
たのしみは 門売(かどう)りありく 魚買ひて 烹(に)る鐺(なべ)の香(か)を 鼻(はな)に嗅(か)ぐ時
たのしみは まれに魚烹(に)て 児(こ)等(ら)皆が うましうましと いひて食(く)ふ時
たのしみは そぞろ読み ゆく書(ふみ)の中(うち)に 我とひとしき 人をみし時
たのしみは 雪ふるよさり 酒の糟(かす) あぶりて食(く)ひて 火(ひ)にあたる時
たのしみは 書(ふみ)よみ倦(う)める をりしもあれ 声(こゑ)知る人の 門(かど)たたく時
▶三段目
たのしみは 世に解(と)きがたく する書(ふみ)の 心(こころ)をひとり さとり得(え)し時
たのしみは 銭(ぜに)なくなりて わびをるに 人の来たりて 銭くれし時
たのしみは 炭(すみ)さしすてて おきし火の 紅(あか)くなりきて 湯の煮(に)ゆる時
たのしみは 心(こころ)をおかぬ 友(とも)どちと 笑ひかたりて 腹(はら)をよるとき
たのしみは 昼(ひる)寝(ね)せしまに 庭(には)ぬらし ふりたる雨を さめてしる時
たのしみは 昼寝目(め)ざむる 枕(まくら)べに ことことと湯の 煮(に)えてある時
たのしみは 湯(ゆ)わかしわかし 埋(うづ)み火(び)を 中(うち)にさし置きて 人とかたる時
たのしみは とぼしきままに 人集(あつ)め 酒飲め物を 食(く)へといふ時
たのしみは 客人(まれびと(まらうど))えたる 折(をり)しもあれ 瓢(ひさご)に酒の ありあへる時
たのしみは 家内(やうち(やぬち))五人(いつたり) 五(いつ)たりが 風だにひかで ありあへる時
▶四段目
たのしみは 機(はた)おりたてて 新しき ころもを縫(ぬ)ひて 妻(め)が着する時
たのしみは 三人(みたり)の児ども すくすくと 大きくなれる 姿(すがた)みる時
たのしみは 人も訪(と)ひこず 事(こと)もなく 心をいれて 書(ふみ)を見る時
たのしみは 明日(あす)物(もの)くると いふ占(うら)を 咲(さ)くともし火の 花にみる時
たのしみは たのむをよびて 門(かど)あけて 物もて来(き)つる 使(つか)ひえし時
たのしみは 木(こ(き))の芽(め)にやして 大きなる 饅頭(まんぢゅう)を一つ ほほばりしとき
たのしみは つねに好める 焼豆腐(やきどうふ) うまく烹(に)たてて 食(く)はせけるとき
たのしみは 小豆(あづき)の飯(いひ)の 冷(ひ)えたるを 茶(ちゃ)漬(づ)けてふ物に なしてくふ時
たのしみは いやなる人の 来(き)たりしが 長くもをらで かへりけるとき
たのしみは 田(た)づらに行きし わらは等(ら)が 耒(すき)鍬(くは)とりて 帰りくる時
▶五段目
たのしみは 衾(ふすま)かづきて 物(もの)がたり いひをるうちに 寝(ね)入(い)りたるとき
たのしみは わらは墨(すみ)する かたはらに 筆の運(はこ)びを 思ひをる時
たのしみは 好(よ)き筆を えて先(ま)づ水に ひたしねぶりて 試(こころ)みるとき
たのしみは 庭(には)にうゑたる 春秋(はるあき)の 花のさかりに あへる時(とき)時(どき)
たのしみは ほしかりし物 銭(ぜに)ぶくろう ちかたぶけて かひえたるとき
たのしみは 神の御(み)国(くに)の 民(たみ)として 神の教(をし)へを ふかくおもふとき
たのしみは 戎夷(えみし)よろこぶ 世の中に 皇国(みくに)忘れぬ 人を見るとき
たのしみは 鈴屋(すずのや)大人(うし)の 後(のち)に生まれ その御(み)諭(さと)しを うくる思ふ時
たのしみは 数(かず)ある書(ふみ)を 辛(から)くして うつし竟(を)へつつ とぢて見るとき
たのしみは 野(の)寺(でら)山里(やまざと) 日をくらし やどれといはれ やどりけるとき
▶最後の段
たのしみは 野(の)山(やま)のさとに 人遇(あ)ひて 我(われ)を見しりて あるじするとき
たのしみは ふと見てほしく おもふ物 辛(から)くはかりて 手(て)にいれしとき