2010年7月1日木曜日

知識だけではダメになる

ブロードバンド研究会 第21 回 平成17 年度 春の講演会 講演録
演題 「知識だけではダメになる」
講師 寺垣研究所 所長 寺垣 武 様
日時 平成17 年6 月17 日 18 時30 分~20 時30 分
場所 JJK 会館(築地)
主催 ブロードバンド研究会

【全体の中で個】
個は個として存在しているわけでなく、全体との関わりを必ず持っています。60 年以上も前の古い話で恐縮ですがガダルカナルで日本軍が、あれだけの犠牲を出したのは、戦火がエスカレートするあまり、軍指令部が全体を把握できなくなったからです。最近の大企業の幹部の不祥事も同じ理由に起因しているのではないでしょうか。国家でも企業でも伝統と歴史があり、その延長線上での活動でしかないのです。自分一人でやっていると思っているつもりでも、実際は過去の沢山の人たちの働きや文化、歴史をひっさげて生きているのです。

【物事の認識が重要】
物事の本質の認識ということが大切なんです。根本の認識が間違うと、全く違った方向に物事は進んでしまうのです。尼崎の電車事故も線路から車輪は外れるものだという認識の欠如が招いた悲劇であると思います。小泉さんの靖国神社参詣問題が話題になっていますが、日本が昭和の15 年間に中国で他人の庭を土足で踏みにじったという根本的な事実の認識がない限り解決は難しいと思います。

【目的と手段の勘違いが大きな過ちを生む】
世の中を見ていますと目的を勘違いしていることが多いですね。会社で上司に報告することがあると思いますが、伝えることが目的であり、会話する事は手段でしかないのです。伝わらなければ、身振り手振りで何度もしゃべって伝えるべきなのです。形式だけの会話では報告したことにならないのです。最近は何でもデジタルにしたがりますが、デジタル化は目的でなく手段なのです。安く大量に作るという面から見るとデジタルは有用ですが、何でもデジタルにすれば良いというものではありません。私にとってオーディオは手段であって目的ではありません。オーディオを通して私の考えを表現することが本来の目的なのです。

【知識だけではダメ】
全体性を押さえた上で、原点さえ正確につかんでいれば、情報だけに頼らずにすむものです。下手に情報に頭を突っ込むとその枠組みから抜けられなくなって発想が貧困になってしまいます。知識や情報という重いジャケットを脱がなければ飛び上がることはできないのです。目の前の現象を素直な心で見て、真相や実態をつかんでから、またそのジャケットを着れば良いのです。

【人に向いていない技術はむなしい】
どんなに素晴らしい技術でも、人の幸せに結びつかない物は意味がありません。最近のテレビのリモコンや携帯電話は、ゴタゴタ、使わないボタンが沢山ついています。それで便利になったかというと、かえって使いにくくなっています。機能を付けないと他社製品に勝てないからとか、高く売れないという理由でやっている場合が多いのです。それは使う人の立場に立ったものではありません。ライバル企業を蹴落とそうとか、単なる金儲けをしようというだけの技術をいくら開発しても、それは空しいものです。

【人間の目の不思議】
男の色気を感じさせるBOSS COFFEE のデビット・ニーブンのポスターをご覧になったことがあると思います。これを近くで見ると何のことだかサッパリわかりません。しかし、このように遠ざけて見ると二本の単純な線が中年の色気のある目尻のしわに見えてくるのですから人間の目は不思議です。これがアナログの特徴とも言えるのです。デジタルでいくら細かく分析しても、この絵がデビット・ニーブンの目じりのしわであることは分らないでしょう。何でも白黒ハッキリさせれば良いというものではありません。分析もある線を超えると人の思考を止めてしまうものです。

【デジタル情報には重さがない】
情報化社会と言われていますが、私の目から見ると現代は、情報欠落時代だと思います。インターネットに流れているようなデジタル情報には質量がありません。苦労しなくても簡単に手に入れることができます。だから実体から遊離しやすいのです。ロケットの打ち上げは重力との戦いです。技術者たちが苦労して築き上げた大変な技術が詰め込まれています。持って実感のない物には価値がありません。IT やデジタル情報だけに振り回されてはいけないと思います。人が使おうとすれば、どんな情報も、最後はアナログにならざるを得ません。デジタルのままでは、音も聞こえないし物も動かせないのです。

【国家意識がエネルギー】
何でこんな儲からないことを20 年間も続けられたのかと聞かれることがあります。私は、お金儲けだとか自分のためだとか思うと、どうも頑張れないのです。私は、大正生まれですが、ここまで頑張れたエネルギーは、国家意識にあると思います。国家のために貢献できるという思いが私を駆り立てます。これも、時代背景がそうさせたのだと思いますが、日章旗を背中に背負っていないと張りきれないのです。アナログレコードという文化遺産を守るという国家意識が私のパワーの源になっています。

【私の健康の秘訣】
東京駅で背中の激痛に襲われて歩けなくなったことがあります。その時は「死の行軍600キロ」を思い出して必死の思いで家に戻りました。外科の先生は脊椎の手術を薦めましたが、早稲田の仏文の先生が、風呂に入って疲れた筋肉を癒せば直ると言われました。私は、医者が嫌いですので、早稲田の先生の通りにしたら2、3 日したら痛みは遠のいて直ってしまいました。手術をしていたら病院の別の出口から出ることになっていたかも知れません。人は、人間である前に動物だと思います。あまりクヨクヨ悩まない方が良いのです。病気は直るという気持ちが強ければ直るものだと思います。最近は朝になったら生きていて良かった。夜になったら今日一日生きられて良かったと感謝しています。お金をためて、私が作るレコードプレーヤーを買おうと待っている人がいるんです。そんな人がいる限り死ぬこともできません。こんな責任感で、私は生きています。

【日本にしかできないもの】
日本は、四季があり、狭いところに沢山の人が集まった島国です。資源も何もありません。しかし、日本には日本の歴史があり、取り巻く環境も日本独特のものがあります。日本人には日本人としての長い歴史に培われた血が流れており、この日本の特質を良く認識して日本でしかできない、世界に誇れる物を作っていくことが大切だと思います。

【自然の音は波動】
市販のスピーカーでこのような広い場所で音を聞かせるためには100 ワット以上の大きなパワーが必要ですが、このスピーカーは、通常は5~6 ワット、どんなに広いところでも10 ワットを越えるパワーは必要ありません。その理由は、振動ではなく波動で音を伝えているからです。このスピーカー自体は、ほとんど振動していません。人が前に立っても同じように聞こえます。それはスピーカーからの直接の振動を伝えているのでなく、波が空気の分子レベルで伝わる波動の原理を使っているので小さなパワーでこれだけの音が出せるのです。オルゴールに下敷きを点接触させて、折り曲げなどのストレスを与えると、驚くほど音がクリアになり大きく聞こえます。これは波動が下敷きの分子間を駆け抜けながら空気の分子を揺り動かしているからです。

【自然に学び自然と共に生きる】
人間はもっと謙虚になって自然に学ぶべきだと思います。特にシステム化された現代社会において、自然と共に生きるということは大切なことです。指先ほどの小さな鈴虫の声が私たちの耳に大きく聞こえるのはなぜでしょうか。鈴虫は、仲間を呼ぶために無心に小さな羽をこすり合わせているのです。羽という自然の材質の自由振動から生じた音だから伝わるのです。そこから出る音は波面のそろった波動なので隙間を通ってどこまでも伝わります。オルゴールの音色が心地よいのは、音源の自由振動を妨げていないからです。

【アナログプレーヤー開発の発端】
ある雑誌で「レコードはカッティングするときに数百ワットもの電力を投入している」ということを読み、電撃が走りました。常識的に0.1 ミリ程の溝にそれだけのパワーを注入するのは考えられないことです。おそらく膨大な情報量が刻まれているに違いないと直感しました。今、市販されているプレーヤーは、その凝縮された情報を完全に再生できていないのではないか。そこで、レコードの情報を忠実に再生する分子レベルまで測れる表面粗さ計を作ろうという考えに至ったのです。この認識がアナログプレーヤー開発の出発点になりました。音を電子的に加工するだけがオーディオだと認識していたら、全く違った方向に進んでいたと思います。

【レコードは今世紀最大の文化遺産】
ベルリンフィルとニューヨークフィルのオーケストラの音色が違うのは、文化の違いですから当たり前です。音楽は芸術家が作っています。技術者は、この音をコピーして残すことしか出来ません。絵画でも何でもそうですが、元来、コピーと言うものには価値はありません。しかし、音楽はコピーでしか残せません。音楽という芸術を残すために、音楽産業に膨大な社会資本が投入されているのです。このレコードという文化遺産が本当の音を出さないまま捨てられるのは、国家に対する冒涜だと思います。この思いが究極のアナログプレーヤーの開発を20 年も続けさせた原動力になっています。

【古いレコードの音質が素晴らしい】
レコードは古い方が音が良いというと皆さん、おかしいと思われるでしょう。新しいレコードは、オーケストラのパートを別々に録音してミキサーで合成するという高度な技術を使っています。しかし、これではハーモニーが再現できないのです。音と音とが重なって始めて音場が出来るのです。満員電車の中で会話が出来るのは、耳が騒音から会話の音場を選択的に捉えているからです。音場のない寄せ集めの音は雑音でしかありません。

【失敗という経験から学べ】
このプレーヤーを完成させるまでに何台失敗したかわかりません。何億円もどぶ川に捨てるようなことをやってきました。しかし、失敗した経験は無駄になってはいません。お金をかけて上手くいかないことが分ったのですから、それは大事なことです。失敗がなかったら、ダメなものに執着してダラダラといつまでたっても止めることができなかったかもしれません。ダメなものは一刻も早く撤退するという引き際の良さも必要です。人間の経験で無駄なことはひとつもありません。つねって痛くないものは身に付かないのです。経験こそ最大の学習だと思います。

【感動の大切さ】
この森進一のレコードを聴くと如何に彼の声が悪いかが分かります。しかし、如何に感動させる歌い方をしているかも良く分かります。このレコードは、古賀政男が是非、森進一に歌ってもらいたいと口説き落として実現したもので古賀自身がギター伴奏をしています。レコーディングが終わったときに森進一が感動して泣き崩れたと言う曰く付きのレコードです。古賀と森の心と心のふれあいから生まれたレコードと言っても良いでしょう。技術より何より感動が最も重要なことがわかります。

テレビコマーシャルの挿入歌で有名なミネハハさんという人がいます。皆さんも何処かで必ず耳にしたことがあると思います。ミネハハさんは色々な声色が出せるということで、大変な売れっ子になりました。その人気絶頂のときに、自分が何者なのか分らなくなってしまったのです。そこで、地位も名誉も捨てて、電気もガスも何もないアフリカの村で生活したり、グランドキャニオンで座禅をしたりして考え抜き、「これからは、人を感動させるために歌おう」と決意します。自分の命から出た声で歌った「海ゆかば」は素晴らしい感動を与えてくれます。

【子孫にまで伝わる機械】
このプレーヤーは、短く見積もっても180 年は動かすことができます。子から孫へ使い続けることが出来るのです。この使い続けるということが文化の伝承になると思います。安いものを作って何でもかんでも使い捨ててしまう今の世の中では、このような長持ちするものが失われつつあります。日本の伝統的な文化の伝承が分断されているのです。でも、こんなものばかり作っていたら企業は儲からないのも事実です。利益の追求と良いものを作るということは相反するところがあります。

【究極のレコードプレーヤーの開発】
電気を動力にしたモーターを使っている限り、モーターの振動音がターンテーブルを伝わり、それをカートリッジが拾って音を濁ったものにしてしまいます。モーターのないレコードプレーヤーが出来ればもっとクリアな音の再生ができるはずです。では、何を動力にするかというと、重力なんです。錘が落ちるときの力を使ってターンテーブルをまわす仕組みです。現時点では、十五秒しか回りませんが、錘を巻き上げるという工夫をして長く回す仕組みを実験しながら考えています。もう少し、お時間をいただきたいと思います。これが完成したら究極のレコードプレーヤーになると思います。

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