2023年9月16日土曜日

志功さんの他力

志功さんは、なんであのような絵を描けるのでしょうか?

  自然に体が上がっていくというか

  湧いてくるというか

  あふれてくるというか

  頭を空っぽにして無我夢中で描いていると

  ひとりでにそうなっていきますね

           棟方志功



【棟方志功】
1903年(明治36年)、刀鍛冶職人である棟方幸吉とさだの十五人兄弟(九男六女)の三男(第六子)として生まれる。長島尋常小学校を卒業。家業を手伝うかたわら絵に親しむ。1920年(大正9年)、棟方が十八歳のとき父親が隠居し鍛冶屋を廃業、青森地方裁判所弁護士控所の給仕となる。弁護士の支援で本格的に絵の勉強を始める。

1921年(大正10年)秋に、棟方は親友の松木満史、古藤正雄、鷹山宇一らと「青光社」という洋画のグループを作る。青森市立中学校の美術教師であった小野忠明からゴーギャン、セザンヌ、ロートレック、マティス、ピカソなどの洋画家たちについて教えを受け、とくにゴッホの「ひまわり」に感銘を受け、「わだば、ゴッホになる」と絵画に開眼した。

晩年、仏教画「二菩薩釈迦十大弟子」などを手掛け、第二次世界大戦中、富山県に疎開した折に触れた浄土真宗の影響で「他力」に目覚め、「阿弥陀如来像」「蓮如上人の柵」「御二河白道之柵」(おんにがびゃくどうのさく)「我建超世願」(がごんちょうせがん)「必至無上道」(ひっしむじょうどう)などの仏教を題材とした作品を残した。1975年(昭和50年)東京の自宅で死去。72歳。(参考:ウィキペディア)